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魔法少女まどか☆マギカは何故魔法少女ものでなければならなかったか

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]まだ4話までしか見ていないにもかかわらず、どうにもすばらしいので、マイルールを破ってシリーズ放映途中で採り上げてしまいます。マミさん(CV:水橋かおり)の衝撃的な死に様ですとか、劇団イヌカレーのポップでありながらもなんともおどろおどろしい魔女と結界演出など、とかくセンセーショナルな表現に目がいってしまいがちですが、私が今回注目したいのはこの作品の主題に関して。この作品には鏡の国のアリスを思わせるモチーフ、ファウストからの引用やループものの示唆など、豪華な飾り付けがいくつもされていますが、これらのちょっとした装飾を全てはぎ取ってしまうと、最後に残るのは「無垢な少女が現実社会はお花畑ではないことを突きつけられ、苦しみながらも自らの未来に関して初めての選択を行うことで、大人への一歩を踏み出す」という、ある意味古典的な題材を扱った、とてもオーソドックスな青春物語なのではないかと思うのです。
 というのも、ネット上で散見される「4話ラストの魔法少女になってしまったさやか(CV:喜多村英梨)の様子が、ダメ彼氏の借金の肩代わりをするために初仕事を終えたばかりの風俗嬢に見えて仕方がない」という意見が妙に腑に落ちるんですよね(風俗未体験ですが)。既に各所で論じられているとおり、確かにこの作品での魔法少女は、表向きは夢や希望を振りまく憧れの存在に見えつつ、実は裏では非情な契約に縛られ、熾烈な生存競争に晒されながら使い捨てにされる少女達として描かれています。これって最近憧れの職業にランクインして驚かれた、キャバクラ嬢そのものではないでしょうか。そう考えてみると、魔法少女に定番の変身バンクは、きらびやかなドレスとメイクで身を飾ってホールに臨むキャバ嬢出勤前の身支度シーンに見えてしまいますし、先輩(マミ)に着いてもらっての体験入店なんていうシチュエーションも、いかにもありそうです。魔女との闘い(=(人間の欲望=男性客)の接待)で命を落としてしまったマミさんは、さしずめストーカー被害にでもあったのか、病気でも移されたか。キュゥベエ(CV:加藤英美里)がスカウトなのはそのままですし、少女達の名前が、苗字も下の名前もどちらも下の名前として通用する組み合わせになっているのも、水商売には付きものの源氏名と本名の組み合わせ以外には見えなくなってしまいます(マミさんがほむら(CV:斉藤千和)のことを「アケミさん」と呼んでいるのを聞いて、妙な違和感を覚えたものです。これで赤い人がさやかのことを「おい、ミキ」なんて呼び始めたら...)。
 こういう視点に立つと、物語中で苦悩するまどか(CV:悠木碧)は、「中学の同級生達がそれぞれの止むに止まれぬ事情で風俗業界に身を落としていくかたわらで、良心の呵責に苛まれながらも何も出来ずに苦しむ何不自由なく育った良家のお嬢様」ということになります。ね、途端に良くありそうなモチーフになりませんか?
 もちろん魔法少女が暗喩するものは風俗業に限らなくても、社会にまだ出たことのない少女が憧れる表向き華やかな対象ならば、アイドル業でも芸能界でもかまいません。いずれにせよ、どんなに輝いているように見える世界にも程度の違いはあれ必ず暗い側面は存在するわけで、そのような暗部を直接目の当たりにした上で、それでもなおその世界に自らを投じるべきか否かで苦悩し、最後にどちらかを選択するまでを描くことができれば良いわけです。
 さて、それではまどかが対峙すべき世界が何でも良いのなら、何故この作品は魔法少女ものでなければならなかったのでしょうか。もともと魔法少女ものありきで企画していたという事実を踏まえた上で、ズバリそれは、まどかの人物造形ただそれだけのためではないかと言ってみます。4話までで作品に登場してきたキャラクター達は(赤い人を除いて)その誰もが、善良な中にも暗い側面を少し併せ持つ、非常に「人間くさい」人々として描写されています。しかし唯一の例外といえるのが、ほむらをして「あなたは優しすぎる」と言わしめた主人公のまどかです(キュゥベエは人外なので除外します)。彼女はとことん純真無垢で、その心には人を疑ったり妬んだりするような陰りを見いだすことが全くできません。まるで完璧な善を体現するかのような、こんな浮世離れした嘘くさい主人公、いまどき「魔法少女もの」以外に登場しましょうか(いやしません=反語)。魔法少女まどか☆マギカという作品は、天使のような典型的「魔法少女ものの主人公」を、悪意も存在する現実的な社会に放り込んで苦悩させ、最終的にいかに成長に導くかという、実験的な、悪い言い方をすればちょっと嗜虐的な作品なのではないかと思うのです。(まあ、ゆのっちを始めとした日常萌えアニメの主人公もやはり天使として描かれることが多いわけですが、日常生活で遭遇できる葛藤には限度があります。命の遣り取りという、現実的には最も過酷な精神的負荷をかけられるという点でも、バトル要素を含んだ魔法少女というフォーマットが最適だったのでしょう。)
 放送途中ですから、上記の推論も今後の展開次第で簡単に覆されてしまうかもしれません。なにはともあれこの作品を追いかけていて一番安心できるのは、ちゃんとした「大人」たちが作っているということを強く感じとれることです。たとえ鬱展開の衣をかぶろうとも、物語に通底する論理は確固とした合理性に基づいており、登場キャラクターの行動原理もあくまで常識的です。今後の展開でたとえまどかの両親が命を落とすことがあっても、それはまどかを汚れた世界に足を踏み入れさせないためだと、本人(達)も納得の上での肯定的な死になる予感がします(だったらいいな)。ネット周辺でムキになって場外乱闘するような制作陣にはこんな作品を作ることができるとはちょっと想像できませんし、過去に視聴したことのあるアニメを振り返ってみても、エンターテインメントであることを放棄することなく、これほどしっかり作られている作品は数えるほどしかありません。そういった意味で、最後に放り投げて台無しになってしまったエヴァンゲリオンテレビ版の二の舞にだけはなってほしくないと祈りつつ、そしてできればまどかには「堕ちる」選択はして欲しくないと願いつつ、今後の放送を首を長くしながら待ちたいと思います。

(追記)関連して、コメントを下さったトネリコさん(ありがとうございます!)のエントリ経由で拝読した
「魔法少女まどか☆マギカ」に感じた断絶の話エネルギー吸収と発散さん)
のコメント欄とはてブコメントが熱いですね。多様な視点にきちんと耐えられる本当に優れた作品だと再認識。
(追記2)コメント欄でのやりとりをふまえて、反語のくだりを少し修正しました。