まとめに徹していた方が良い気もするのですが、今日は更新するネタがないので、ちょっと最近考えていることなどつらつら綴ってみたり。
白状しますと、京アニ前期の「中二病でも恋がしたい!」は女の子の描写に妙な媚びを感じてしまいまして、結局最後まで視聴することができなかったのですが、今期の「たまこまーけっと」はここまでとても楽しんでいます。餅屋「たまや」の一人娘たまこをはじめとする、善意の塊としか表現できないうさぎ山商店街の住人達に毎週ほのぼのするわけですが、このある意味嘘くさい人物造型と作品を貫くなんだか懐かしいテイスト、何かによく似ていませんか?
最初は嘘くさい人物造型の代表格ということで、山田監督は「たまこまーけっと」で古き良き朝の連続ドラマ小説(NHKの朝ドラ)をやりたいのかな、と思っていたのですが、この物語の主人公を考えているうちに思い当たりました。「たまこまーけっと」は「男はつらいよ」なんですね。
公式的にはこの作品の主人公はたまこであると説明されているようですが、物語の構造を考えると、私は本当の主人公は狂言回しも兼ねるデラなのではないかと思うのです。3話までで与えられている情報では、「たまこまーけっと」という物語を構成する「事件」になりうる主題は「デラによる王子の后探し」しかありません。そうすると、必然的にその事件の当事者であるデラが物語の主人公とせざるを得ない。もちろん、たまこが后探しを主導する、もしくは解決することになるというのも今後の展開によっては考えられなくはないですし、はたまた物語の主題がたまこの成長であって、今後たまこに葛藤が生まれてそれを克服する、なんていう展開になったりしたらたまこが主人公でもかまいません。[1] でもこれまでの作風から、こんな展開はあまり考えられない気がします。たまこは物語を通じて無垢なままで居続けるんではないでしょうか(といいつつ物語の最後に、テンパらずに自己紹介できるようになった三年生のたまこが描写される、なんてのもありえるかな)。[2]
少なくともデラはうさぎ山商店街の観察者/傍観者として、嘘くさい善人達とは違う視聴者が感情移入できるキャラクターとして描かれています。物語の狂言回しであるのは確実ですね。
てなわけで、ほれっぽい&丸っこい&さすらいの主人公(or ただの狂言回し)が出てくる古き良きほのぼのドラマといえば、どうしても「男はつらいよ」になっちゃったんです。
「鳥さん」と「デラちゃん」を足して二で割ると「寅さん」ですしね。
同じようなことを考える人は他にもいるようで、ネットで検索するとすでに2chの本スレ?でも3話放映後に「デラ=寅さん説」が語られていたようです。そこではこんな共通点も挙がっていました。
「寅」さんの実家は団子屋の「とらや」=たまこの家は餅屋の「たまや」
山田洋次監督=山田尚子監督
なるほど。
もちろん「たまこまーけっと」は「男はつらいよ」そのままではありません。「けいおん!」から培われた至極のキャッキャウフフが詰め込まれ、21世紀のアニメにふさわしい装いが整えられています。それと視聴者が感情移入する対象である「寅さん」=「デラ」の造型も、うまくアレンジされていますね。すなわちどちらも憎めないキャラであるものの、大衆映画の観客を対象にした寅さんがちょっと抜けていても底抜けに明るい直情的な性格だったのに対して、現代のアニメ視聴者を対象にしたデラは、ともすると無理に格好つけてしまう、どちらかと言えば理屈が先行しがちな性格になっています。あなたはどちらに近いですか?
さて、デラが寅さんならば、「たまこまーけっと」は毎話マドンナが設定され、結末は「デラの恋は実らず、お后探しもまだ続く」になるはずです。果たしてあんこ回はあるのか?そして結末は?楽しみですね。
(以下、夜に追記)
[1] はてブコメントで指摘していただきましたが、たまこの母親の設定をたまこの成長に絡めてくるのはかなりありそうですね。忘れてました。
[2] 一日寝かして考えてみると、たまことデラの関係性の変化で物語を構成することも可能でしたね。その場合はたまことデラがW主人公で、「男はつらいよ」にあわせるなら、たまこがシリーズを通じての正マドンナであり、かつ各話のサブマドンナ注目時には寅さんの妹のさくらポジションを兼ねるということになるでしょうか。
デラ主人公説において自分でも弱いな、と思うのは、デラは制作側が意図的に記号化したキャラなんだろうな、というのが強く感じられるところなんです。(男性)視聴者の感情移入を可能な限り妨げないように、「人間」臭をできるだけ排除して抽象化しようとした結果が「鳥」なのではないでしょうか(個人的には大阪大学の石黒教授が開発したエルフォイド(ジェミノイド携帯)を強く連想しました)。両目が映写機になるような荒唐無稽な鳥ですから、実は性別さえ不明ですよ!?