なんでもリスト

気になったことを気ままにまとめます

とらドラ!櫛枝実乃梨考

とらドラ! 4 (電撃文庫 た 20-6)

先日とらドラ!の疑似家族について考察するにあたって、もう一つ思いついたことがありました。「櫛枝実乃梨=竹宮ゆゆこ」の図式です。もちろんとらドラ!という作品を執筆しているのは竹宮ゆゆこ氏お一人なのですから、ある意味全登場キャラクターが氏の分身と言っても過言ではないのでしょうが、その中でも素の竹宮ゆゆこの考え方を最もダイレクトに体現しているのが、櫛枝実乃梨なのではないかと思うのです。

 とらドラ!中にはゆゆこ氏が仮託されていると言われるキャラクターとして、独神(30)や泰子ら、独り身の大人の女性たちが登場しています。彼女らの人となりは手放しで肯定されているわけではないものの、2人から共通して醸し出されているのは「女だって一人でも十分やっていけるぞ」という強い気概です。原作の後書きなどを読んでいると、確かにこれは自身も独身でいらっしゃる氏の考え方が色濃く反映されているようですね。それでふと気がつきました。最終的に竜児を譲ってしまうという実乃梨の選択がずっと腑に落ちなかったのですが、これもやっぱり同じ考え方に基づいているのだと。「打ち込めるものさえあれば、女の人生に男なんていらない。」実乃梨がこんな思想を持っているとすれば、あれほどまでに潔く、また頑なに自らの恋愛面での幸せに背を向けていた姿も合点がいくというものです。(他には亜美も近い思想を持っていそうです。一方で、大河は依存型ですから、完全に対極にいますね。)そしてもし実乃梨の一番根っこのところが竹宮ゆゆこ氏のものと同じであるとすれば、物語中での実乃梨の心の動きも、やはり氏の思考をトレースしたものなのではないでしょうか。お人形であったりお姫様であったりする大河や亜美と比べて、実乃梨はその造形に最もファンタジー成分が少ない、等身大のキャラクターです。そのため執筆時にはゆゆこ氏も実乃梨に一番感情移入しやすかったはずで、結果として物語上で彼女を動かすにあたって、自分の素の思考、反応が、ダイレクトに反映されがちだったのではないでしょうか。氏もそのことを自覚していたかどうかはなんとも言えませんが、実乃梨の過剰とも言える道化っぷりを考えると、そのまま動かしているだけではあまりにも自分に似てしまうため、あえて実乃梨には仮面をかぶせたのではないか、とも勘ぐってしまいます。バケツプリンとたらこパスタの食べ物ネタの使い方が妙に似ていませんか...?

 こうして考えると、物語中の3人娘を語る上で、人によってはキチガイと表現してしまうほど、実乃梨の心理描写が一番分かりづらいという点も、うまく説明できるようになります。そもそも小説においてわかりやすい心理描写というのは、往々にして作者と読者の間にある共通のお約束に依拠していることが多いものです。そして逆にそのようなお約束で表現できてしまう心理というのは、計算されて作られた心理であるとも言えるわけです。一方で、現実の人間が持つリアルな感情というものは、時として不条理であり、常に決まった枠の中に当てはめられるものではありません。これは即ち、キャラクターの感情や心理がリアルであればあるほど、小説作法においてはお約束に頼ることが難しくなる、ということです。とらドラ!の場合、まさに実乃梨がゆゆこ氏のリアルな思考、心理に基づいている生きたキャラクターであるからこそ、その描写が難解なものになってしまったのではないでしょうか。見方を変えれば、そういうリアルな心理を描写できないのでは力量がもう一歩、ということもできるのかもしれませんが、ライトノベル作家にそこまで望むのはさすがに酷ですよね。

 ネットなどを見ていると、実乃梨はヒロイン3人の中で最も理解しにくいキャラであると同時に、女性の一部にとっては、最も深く感情移入できるキャラでもあるようです。きっとそういう方々は、ゆゆこ氏と波長がピッタリ合う方々なのではないかと思うのですが、いかがでしょう?